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美しい本のはなし 移民の料理本

高山羽根子

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Illustration 塩川 いづみ

 特別に料理をすることが好きというわけでもないけれど食べるのはもちろん大好きなので、旅先でなんとなくレシピ本を買ってしまう。写真や図版が多く、使われている言葉もある程度は限定的なため、キリル文字やハングルであっても、辞書やウェブサイトを利用すれば小説よりは解読が簡単なことが多い。専門書のように大きく重いものもあるけれど、たいていの国では価格が安く、薄い紙質の雑誌に似たレシピ本がたくさん並んでいる。レシピ本を買えば、ちょっとしたレストランで食べることのできる名物の郷土料理から旅行者からは見えない料理までいろいろ知ることができるし、ついでに現地のマーケットでスパイスやインスタントミックスを買って、セットにしてお土産にもできる。

 このレシピ本を手に入れたのは、書店ではなかった。たしかシンガポールのある博物館に併設されたミュージアムショップだったと思う。そこは、数世紀にわたって東南アジアに住み続けてきた中国系移民、プラナカンやババ・ニョニャなどと呼ばれている人たちの暮らしに関する博物館だった。ショップには中国風と東南アジア風が混ざったプラナカンの文様のタイル、マグカップ、文具といった雑貨などが売られていて、それらと一緒にこのレシピブックが売られていたのを覚えている。特別安いわけではなかったけれど、その洒落た装丁を考えるとずいぶん低価格だな、と当時、感じた。

 あまり大判ではない縦長の判型で、表紙はアイボリーホワイトに赤一色で印刷されている。テキストのタイトルと、大きくワンポイントで、曼荼羅というか花というか、そんな大ぶりのシンボルがデザインされていた。見返しには、プラナカンやコロニアルなど、さまざまな時代と風土を反映した文様で飾られたお皿のイラストが一面に並んでいる。

 中も表紙と同様、ちょっとした写真以外は赤一色印刷で、銅版画のような細密画風の挿絵に幾何学模様の背景、飾り罫とテキストで構成されている。特に面白いと思ったのがスピン(しおり紐)で、それぞれ色の違うスピンが4本もついていた。スープや前菜から、肉料理、魚料理、デザートまで、プラナカンのさまざまなレシピを、複数同時に参照するための工夫なのかもしれない。

 買ってから何年もたった後、ふと思いついて版元をオンラインで検索してみた。どうやらこの本は「ヘリテイジ・クックブック」というシリーズになっていて、発行元はデザイン会社からスタートした出版社だという。どうりで、と思った。見つけたのが書店ではないこともあって、書籍というよりもデザイン雑貨の文脈でつくられているプロダクトだと思えたからだった。

 版元のサイトを調べていくうちにこのレシピブックを揃えたくなって、ほかに三冊ほど、福建、広東、ユーラシアン(ヨーロッパとアジアの混血の人たちのことだという)のものを購入してみた。南インド料理のものは売り切れていた。それらはすべて同サイズの白い表紙に、本ごとにテーマカラーの一色で印刷され、スピンは博物館で買ったもの以外は1本だったけれど、デザイン的に統一されたシリーズだった。よく見ると曼荼羅か花模様だと思っていた表紙のデザインは、料理に使われている食材の絵を連続させて用いた幾何学模様だと気がついた。

 シリーズタイトルに「ヘリテイジ」とあるのは、シンガポールの遺産として多様な料理を記録する、ということがこのシリーズのテーマだからだろう。それぞれの本のタイトルに人名がついていて(プラナカンならイレーネの、広東ならマダム・チョイの、とか)、人々が家庭の中で作ってきた料理こそがシンガポールの食の歴史だ、というシリーズなのだと思えた。ただそれは同時に、シンガポールの移民の歴史にもなっている。福建や広東は華僑による料理文化だし、ユーラシアンのレシピでは東アジアからヨーロッパまでさまざまな地域の食材が使われている。シンガポールは、古くから多くの人たちが混じりあって生きてきた場所だ。マレー系に中国系(福建・広東・潮州など)、インド系やヨーロッパ系も流入してきた歴史を持つシンガポールにとっては、伝統として残すべき「昔ながらのもの」という概念は、日本とはまただいぶ違うのだろう。

 旅人にとってはその国の料理にちがいないのだけれども、そこに至るまでにはさまざまな歴史がある。そう考えてみると、そこで何の影響も受けずに存在する料理というものなんて存在しない。なにかのできごとを想起させるのに、そのできごとそのものを描写する必要はなくて、その周囲、たとえば料理のレシピといった詳細を提示する。料理の手順によって、移民の苦労だったり生活の物語を伝えることは、簡単ではないけれど、できないことじゃない。

 物語自体を読むのではなく、料理ができるまでの本を読んで、移民の物語を感じる。とくにこの本の冒頭には、レシピの制作者の小さな物語がついている。ほんとうにささやかな、それだけに大切な個人史で、その歴史を背景にした料理があり、その料理が家族や民族、国の歴史の一部となる。この壮大すぎない判型の本が印象深いのは、レシピそのものやデザインを通じて、大きな物語を感じさせてくれるからだろうと考えている。

取り上げられた書籍

  • Heritage Cookbook」シリーズ (Epigram Books、2006-2015年)

  (Epigram Books ウェブサイトはこちら

高山羽根子(たかやま はねこ)

1975年富山県生まれ。小説家。 2009年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作、2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2020年「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞を受賞。著書に『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『如何様』『暗闇にレンズ』『パレードのシステム』、3人の作家のリレー書簡『旅書簡集 ゆきあってしあさって』、などがある。

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