川原繁人
1980年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。 カリフォルニア大学言語学科名誉卒業生。 2007年、マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。 ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て帰国。 専門は音声学・音韻論・一般言語学。 『フリースタイル言語学』(大和書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)等、著書多数。
<今回の質問>
「日本語には『゛』・『゜』が付く文字と付かない文字があるのは何でですか?」 6年生・モモ
じゃあ、「な」とか「ま」とか「や」とかは、なぜ点々が付かないのでしょうか。ヒントは今までの話の中にある。「えげ」の時のハイスピードカメラの映像を思いだしてみて。
―― 発音できないから。
川原 発音できないから。点々が付くと発音できないから? どうして発音できないんだ?
―― できないから。
川原 それだと説明になってないかもしれないな。ほかに。
―― 外国の人だったら発音できるかもしれない。
川原 外国の人だったら発音できるかもしれない。その考え方も面白いかもしれないね。その点はあとで少し触れられるかも(注:すぐ下の漫画での表現方法の議論を参照)。はい、はるま。
はるま 「あいうえお」を言ってる時点でのどが震えている。
川原 素晴らしいね。そうだね。あいうえおって点々付けられないよね。でも、「え」を発音するときってのどが震えていたよね。点々がつけられない音って、声帯が震えないんじゃなくて、点々を付けなくても声帯が震えちゃうの。「ま」とか「な」とか「や」とか言ったときって、わざわざ点々を付けなくても声帯は震えます。
だけど、点々が付くかもしれない音って、ちゃんと点々が付いていないと、のどが震えますか、震えませんかっていうのがわからない。だから、ちゃんと書きましょうという約束になっているんだね。
―― 「あいうえお」も場合によっては付きます。
川原 そういう質問もでるかと思って、面白い例をもってきました。『鬼滅の刃』の3巻で善逸が登場する時のシーンです。「あ」に点々が付いてる。これはどんな音だと思う? 「汚い高音」ってちゃんと漫画に書いてあるんだけど、実際にはどんな音かな。
――(それぞれの子どもたちが、どんな音かを試す)
川原 そうそう、いいねいいね。みんなやってくれたね。みんな何で「あ」の点々の発音の仕方を知ってるの? これも不思議でしょう? 小学校で平仮名習うときに、「あ」に点々付けられるなんて教わったことないのに、みんなは「あ」に点々を付けたらどんな音になるかわかるわけじゃない。
もう1個『呪術廻戦』から例を持ってきたよ。これどんな音?
――(子どもたち、いろいろ試す)
川原 ほら、不思議だと思わない? 学校で教わったわけじゃないのに、みんなはこの発音の仕方を知っているわけ。ちょっと難しくなっちゃうかもしれないけど、がんばって説明してみるね。「か」とか「た」とかって言ったときは、口の中が完全に1回閉まっているのわかる? だけど、「ま」って言うと、例えば[mmmmmmmmm]ってずっと言えるでしょう? 「ま」って言うときは鼻から空気が流れているから、続けて発音できる。
――(子どもたちが、それぞれ音を発音してみる)
川原 いいね、ちゃんと自分で発音してくれて。点々が付けられる音って、口の中が1回完全に閉じるか、あと「ス」([ssssssssssss])って発音するときみたいに、口の中がすごい狭くなります。点々が付く音って口の中が閉じるか狭くなるか、どっちかです。
さっき、みんなが「あ」に点々を付けた時、みんなはのどの奥を締めてました。つまり、点々は、「声帯を震わせましょう」ということの他に「口を狭くしましょうよ」というのを表しているんだと思う。点々ってもともと口の中が狭くなった音にしか付けられないから、点々が付けられない音に無理やり点々を付けたら、「口を締めましょうよ」とみんなは理解するわけよ。
川原 はい、ちょっとまとめます。らんが「言葉の研究は何が楽しいの?」って聞いてくれたけれど、まずね、「お手頃」です。小学生のみんなも自分の体で発音して感じられるじゃない。言語学って、「ああ、私はどうやってしゃべっているんだろう」って一人で考えてもいい学問なのね。すごい楽ちんでお金も掛からない。MRIを使った研究とかはお金が掛かっちゃうけどね。
あとは当たり前が当たり前じゃなくなる。言葉って毎日使うじゃない? 独り言をするときも使うし、家族としゃべるときも使うし、先生としゃべるときも使うし。毎日使っているから何かを発音できるのは当たり前に思えてくるんだけど、改めて「どうやって発音しているんだろう?」って考えると当たり前じゃなくなってしまう。点々をどうやって付けますか、「か」ってどうやって発音しますかって、あらためて聞かれるとわかんなくなっちゃうでしょう? だけどみんなは、「か」のときに口がどうやって動いていますとか、のどはどうなっていますとかいうのを気付かないだけで知っているんだよね。そうじゃないとしゃべれないわけじゃない。
言い方を変えると「あ、私って普段当たり前のように日本語をしゃべってるけど、しゃべれることってすごいんだな」って思える。ちょっと大げさに言えば自分で「私って何てすごいんだろう」っていうふうに思える。これは自分っていうものを理解するためには、すごく大事なことだと思うんだよね。
あとは『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』みたいな漫画の表現方法の裏にある秘密を知ることもできるなんていう利点もあります。
(第2回 おわり)
1980年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。 カリフォルニア大学言語学科名誉卒業生。 2007年、マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。 ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て帰国。 専門は音声学・音韻論・一般言語学。 『フリースタイル言語学』(大和書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)等、著書多数。